日本言語学会第161回大会で発表しました
去る2020/11/21(土)10:40~11:10に, 日本言語学会第161回大会で 発表(オンライン,Zoom)をしました. お聴きになった方々,ご質問してくださった方々には,ここでお礼を申し上げたいと思います. この発表は,(広い意味での)とりたて詞と格助詞との相互作用(語順や,格助詞の現れの有無など)を,Nanosyntax理論で記述してみたらどうか, そして,そのときに理論にとってどのような課題が残るのかを検討してみたものです.
Zoomでの発表を発表後公開にしなかった理由は,内容についての隠蔽をしたいからではなく, 単に,(内容とは無関係の)私自身の顔や声を隠蔽をしたかったからです. ですので,内容であるところの,予稿と発表スライドについて,以下載せておきたいと思います.
- 予稿
- 言語学会のサイトで公開されているもの.
- 脚注8番で「ここでいう[…]係助詞は,『まで』『さえ』『も』『は』『しか』のことである」とあるのですが, 「まで」は(古語の観点でも,現在語の観点でも)副助詞だと分類されるのがほとんどです. こう書いてしまったことについては後悔しています.
- もっとも,副助詞「だけ」「ばかり」と「まで」「さえ」の間で区切りを入れているような構文として, 等位接続や「AのB」構文(のAの位置)があることはあります.
- 発表スライド
- 紙幅の関係で予稿集に載せることができなかった,いくつかの派生のデモが参考になると思います.
- 予稿集との内容の齟齬が(ないはずですが)あった場合,予稿集のものを正式のものとします.
「もが」における「が」が格助詞ではなく,副助詞の一種ではないか,というA先生の質問がございました. 発表の例文(6)「西表島に遊びに来る学生たちもが,[…]トイレットペーパーに手が伸びる」においても, 「学生たち(もが)」は,canonicalな主語ではないことには,確かに,注意はすべきではあります. しかし,「が」がつくものが,主語となる項と全く無関係でもなさそうです. さらに,例えば寺村(1991:77, (163))の「七百三十四人もが,自らの出身地を記録していった」のように, 主語項としか考えられないようなものもあります. なので,「が」はあくまでも格助詞だと考えたいところです. ところで,一般的に「が」何かしらのとりたての作用も持っていると考えられるような場合も存在します(例えば,総記の「が」). このあたりのことはまた考えていきたいと思います.